2017年2月24日金曜日

2016/11/27 三鷹武蔵野巡検


こんにちは。20161127日に行われた三鷹武蔵野巡検でナビゲーターのボスのサブ(?)だったものです。

 

投稿が遅くなり申し訳ありません。特にこの時期だと、大学入学が決まりサークルを探す高校生やその他の人々の中に、地理のサークルなんてものに興味をもった奇特な方がいらっしゃったら「ブログ更新してないし、活動してねーのか?」と思わせてしまったかもしれません。公式ツイッターの方はリアルタイムで巡検を紹介してくれていますので、ぜひそちらもご覧ください。

 

では、前置きが長くなりましたが巡検の報告をいたします。

 

集合はJR中央線武蔵境駅でした。まず北口をでて玉川上水に向かいます。

ちなみに駅前から続く「すきっぷ通り商店街」は人通りが多くにぎやかでした。

たまにイベントもあるそうで、この日も子供たちが仮装していたような…(下見のときだったかも)

 

北へ800mほど歩くと玉川上水に着きました。

この水路は、承応2(1653)年に江戸の人口増加への対応、武蔵野の開発を目的としてつくられ、上水は飲料水、灌漑用水、水車の動力として利用されました。全長は多摩川の羽村取水口から四谷大木戸までの43kmで、標高差が2‰と小さく、なるべく高度を下げないよう台地の稜線(尾根線)に沿って引かれています。

淀橋浄水場への導水路として使われていましたが、昭和40(1965)年の浄水場の廃止に伴い小平監視所より下流は水が途絶えました。しかし、復活を願う声が多かったことから昭和61(1986)年に清流は復活しました。
 

 

玉川上水の脇には、大正13(1924)年に建設された境浄水場があります。

水は狭山湖や多摩湖の方から流れてきており、浄化した水は世田谷区の和田堀給水所(先日の世田谷北東部巡検で行きました!)へ送られ、世田谷区、渋谷区、目黒区、港区へ配水されています。

砂に含まれるバクテリアを利用した緩速ろ過方式で、広大な土地を必要とします。ろ過に使う砂は武蔵境駅からの専用線で運搬されていましたが、現在は廃止され遊歩道になっています。一部の人の興奮スポット!(ちなみに初めてこの廃線の話をボスから聞いて、廃線の橋の跡や昭和と平成の地形図の違いを見たときには、鉄道にあまり興味がない私でも感動しました。)
昭和22(1947)年、専用線があったころ


現在の地形図
専用線跡は遊歩道となり、宅地化されていないので、
跡が白く浮いているように見えます。
 

 

次に、中島飛行機工場跡へ向かいました。

中島飛行機は、陸軍専用工場、海軍専用工場を持ち、軍用機エンジンの3割を生産する国内随一の航空機工場であったため、昭和19(1944)年以降の空襲で破壊されました。

戦後は米軍に接収されグリーンパークと名付けられ、返還後は、NTT研究開発センター、公園、公団住宅、市役所、陸上競技場などがつくられました。

現在公団住宅となっている場所は戦後グリーンパーク野球場がつくられ、国鉄スワローズの本拠地となる計画もあり、工場の引込線を利用した線路も引かれましたが、郊外にあることや、神宮球場の接収が解除されたことから、結局プロ野球の試合開催は1シーズンのみでした。道の不自然なカーブや緑道からは野球場や引込線の名残が感じられます。またしても一部の人の興奮スポット!
武蔵野中央公園と東(図では左側)の緑町二丁目一帯が中島飛行機工場跡です。
公園から南(図では上方向)にのびる緑地帯が引込線の跡です。


 

廃線や飛行場の痕跡を満喫した後は、三鷹駅の方へ向かいました。

三鷹駅周辺の街路は、北西から南東に走る玉川上水を境に、北東の武蔵野市側は玉川上水と並行・直行の区割り、南西の三鷹市側は南北に細長い区割りとなっています。

最近整備されてきましたけど、このあたりの中央線の駅間を自転車で移動しようとしたら大変ですよね。

これは、武蔵野市側は玉川上水や五日市街道を中心として発達したこと、三鷹市側は明暦の大火の際に移り住んだ人々が連雀通り、人見街道を中心に新田開発をおこなったことが要因です。三鷹市の「連雀」という地名も神田の連雀町に由来しているとされています。

また、三鷹市側で一本だけ斜めに走る道路がありますが、これは品川用水の暗渠です。暗渠~


 

続いて、線路を超えて三鷹市側に行きました。

突然ですが、保育園落ちた日本うんぬん…で話題となった待機児童問題に関連して、三鷹市の保育所の定員充足率は100%を切っているのにもかかわらず、待機率は9%と高くなっています。

これは、JR中央線、京王線、京王井の頭線が三鷹市の周縁部を走っており、市の中心部はアクセスが悪いため、駅周辺の保育所は人気の一方、駅から遠い市の中心部の保育所は定員割れとなっていることが原因です。共働きだったりすると、通勤のついでに子供を送り迎えしなければいけないので、どうしても利便性の高い駅周辺の保育所に預けたいと考えるのも当然に思えます。
 

東京都は対策として、国の認可保育所とは別に、駅周辺の認可外保育所を独自の基準で認証保育所として認めています。認証保育所は、認可保育所と違い、屋外遊技場の設置を義務付けていないので、マンションの一室や駅ビルの中に設けることができます。

巡検では三鷹駅の駅チカの認証保育所を外から眺めました。

(最近は、子供たちがカートに乗って公園へむかう光景は当たり前になってきましたが、先日自転車で三鷹市のど真ん中を突っ切ったときに大きな園庭のある保育園を見かけ、懐かしい気持ちになりました。)

 

三鷹駅前でいろいろ見物した後、今度は東へ1㎞ほど歩いて井の頭公園へ行きました。

たしか巡検ではあまり見なかった気がするのですが、井の頭池は神田川の源流で、源流地には「ここが神田川の源流です」と書いた看板もありますので今度ぜひ。
 

かつては7つの湧水口を持ち「七井の池」とも称され、豊富な水量とすぐれた水質を有していたため、徳川家康の命により井の頭池を水源とした神田上水が整備されました。そしてのちに家光によって井の頭池と命名されました。

 

最後は、ハモニカ横丁に行きました。

戦後の闇市がルーツであり、名前の由来は小さな店舗の立ち並ぶ様子が楽器のハーモニカの吹き口に似ていることで、現在も細い路地と小規模の商店が混沌と並んでいます。

1980年代の都市開発で伊勢丹、東急、近鉄、丸井、西友などの百貨店が建ち、時代遅れとされた横丁の再開発計画もありましたが、90年代後半に「ハモニカキッチン」が開店すると、レトロな横丁の雰囲気とハモニカキッチンのモダンな雰囲気が若者の人気を集めるようになり、現在もにぎわいを見せています。

個人的には、パンの食べ放題があったり、ラム肉が食べられる飲み屋があったりするので、狭い空間の中でいろいろな種類の店をはしごしやすいのも魅力かなと思っています。(注:この文章を書いている人は成人です)
 

 

また、吉祥寺駅北側にあった東京近鉄百貨店(吉祥寺三越を経て現在はヨドバシカメラ)の裏側は、昭和40年代後半から風俗産業が進出し、「西の歌舞伎町」とも呼ばれました。現在は、市民の要望を受けて建設された吉祥寺図書館や、喫茶店やラーメン店も増えましたが、風俗街の趣が残っています。

 

巡検はハモニカ横丁周辺を自由散策して終了となりました。

個人的には、なぜこのあたりの中央線沿線の道が斜めなのかという疑問が解決して満足です。他にも、昭和の地形図と比較したり、待機児童問題を地理的視点から見たりでき、楽しい巡検でした。

ナビゲーターを務めてくれたボスありがとう!数少ない仕事も遅くてごめんなさい!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。