2017年6月25日日曜日

【新歓企画その2】大久保巡検



こんにちは。こんばんは。ありがとう。いがらしと、長野の人です。新歓企画第2弾として大久保巡検が行われました。

 まずは早稲田大学の前を通る南門通りと早稲田通りの交差点「馬場下町」にある穴八幡です。こちらは17世紀中頃に旗本の武芸の練習場として「高田の馬場」とならんで矢場として創建され、矢場の守護神として京都石清水八幡宮から分祀されたのが始まりです。立地的に考察すると、当地は武蔵野台地の末端に位置し、参道が沖積低地側から続いていることから「小山の上」に位置しているような錯覚に陥ります。これは創建当時、「低地に水田、山裾に集落、山に神社がある」といった日本の原風景を再現しようとしたのかもしれません。
 お隣には放生寺というお寺があります。こちらは現在では柵が設けられ別々の土地であることがわかりますが、穴八幡とほぼ同時期に創建され、江戸時代には神仏習合の風習から神社を管理する「別当寺」としての役割を果たし、神事が仏式で行われていました。
 穴八幡神社では、冬至など年3回「一陽来復」という御札を受けることが出来る縁日が開かれますが、もともと同じ敷地であった名残から、お隣の放生寺でも受けることが出来ます。ちなみに「穴八幡」というユニークな名前は、放生寺を建てる際に土を掘り起こしたところ横穴が出現したことがその由来となっています。

 途中には地理研名物!蟹川暗渠!


次に訪れたのは、箱根山です。こちらは海抜44.6メートルと山手線内での最高峰となっていますが、「山」とはいっても人工的に作られた塚のような形状です。
 なぜ当地にこのような山が作られたのかというと、江戸時代に戸山地区一帯に尾張徳川家の下屋敷があったことに由来します。蟹川を敷地内に取り込んで庭園を作りましたが、そのなかで藩主らが町人遊びに興じるために参勤交代の途中に通る「小田原宿」とその周りの風景を再現し、箱根の山も再現してしてしまった、というわけです。
 なお箱根山に登頂すると登頂証明書がもらえるそうですが、箱根山から約1キロ離れた事務所まで行く必要があるようです。

 箱根山の南には戸山ハイツがあります。先述のとおり江戸時代には尾張徳川藩の広大な敷地がありましたが、明治に入ると広大な敷地が軍用地として転用され、終戦によりそれも必要性を失うと、広大な敷地が残された戸山地区には早稲田大学高等学院・学習院女子大学などの教育機関や国立感染症研究所・国立国際医療センターなどの医療機関とならび、戸山ハイツなど公営住宅の整備が進められました。住宅の中心に集会所や広場が整備された戸山ハイツは、日本初の住宅団地と言われています。高度経済成長期を中心に入居者が増加しましたが、現在では高齢化や孤独死が問題となっています。


ここからは大久保パートをお送りします。


新宿区は東京23区のなかで最も外国人の比率が高く、人口の10.4%にのぼります。そして、そのうち21.3%が大久保地域に居住しているのです。




現在、百人町を含めた大久保地区は全国有数の外国人集住地区となっています。では、この地に外国人が多く居住している理由は何でしょうか?その答えは「百人町」という地名にあります。江戸時代にこの地には市中の警備を担当した百人組の屋敷がありました。このことから百人町という名前が付きましたが、屋敷は入り口がせまく細長い区画でした。そのため、狭い家しか建てられなかったので家賃が安かったことが一因として挙げられます。また、1980年代に入国管理法が改正されたこと、歌舞伎町という職場が近いことなども理由として挙げられます。




大久保といえば、「コリアンタウン」と呼ばれているように、外国人のなかでもとくに韓国朝鮮人が多く住んでいますが、そうした人々の雇用の受け皿になったのが、韓国資本の「ロッテ」新宿工場です。1950年代にこの工場ができ、その労働力として韓国朝鮮人が集住したことが、コリアンタウンとしての大久保の始まりなのです。なお、工場は2013年に閉鎖され、現在解体工事中です。




大久保はコリアンタウンというだけではありません。こちらは「ハラルフード」の看板からもわかるように、イスラム教徒向けのお店です。この付近はイスラム横丁と呼ばれています。朝鮮系の人に限らず、多様な民族が居住しているのです。


身近なところであっても少し視点を変えてみる、「なぜ?」と疑問を持ってみると思わぬ発見があったり、何のことはない町、道、地名がとても面白いものに見えたりします。こう言うと大袈裟かもしれませんが、「視点を変える」「疑問を持つ」というのは世界が面白く見える方法だと思うのです。なにやら壮大な話をしたところで終わりにします。以上です。